誰もが心にゆとりを持って生きることができる社会に

 芸能界で自殺とみられる事例が相次いでいることに私もショックを受けています。
 人の死を考えるときに大学生で亡くなった友人のことをいつも思い出します。彼とは大学の学科が一緒で、音楽の趣味が合うことですぐに意気投合しました。学校に馴染めずにいた私にとっては心の支えでしたが、いつも私のわがままに付き合わせてしまっていたことを覚えています。音楽のグループを組んで一緒にステージに立ったこともありましたし、妻と出会うことができたのも彼のおかげでした。
 バイクの事故で亡くなったと聞いたときは頭が真っ白になり、共通の友人は亡くなった本人に電話をかけてしまうほど気が動転したと言います。彼の死は若すぎましたし、友人の死を受け入れるには私たちも若すぎたと今になって思います。
彼は事故の数日前に「バイトがつらい」とこぼしていました。数か月前から始めた居酒屋のバイトが忙しく週に7日もシフトに入っていると疲れた様子で話していました。そのことを思い返すと「もしかして」とよくない想像をしてしまい、あの時私は何と言葉をかければよかったのかと後悔するばかりです。事故の原因を断定することは適切ではありませんが、あの日、疲れ切った友人の顔を笑顔にすることができなかったことが心残りです。
 日本では今「自助」が叫ばれています。自助の考えや自己責任論の行く先は「いつ自分が死ぬのかを決めることができる」自殺を容認する国なのではないかと懸念しています。
 競争をあおるのではなく、誰もが心にゆとりを持って生きることができる社会に。政治の責任は重いのです。(平岡だいすけ かけあるき 民報掲載)

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